サトウレン

多分花粉症だったっぽい

令和令和ってどいつもこいつもうるせぇ

いつまでやってんだよ。

 

という訳でゴールデンウイークですね。もう終盤だけど…。

 

皆さん、思い思いに過ごされてきたのではないでしょうか。

 

海外旅行や国内旅行に出かけている方もいれば、

地元に帰省して旧友との親交を温めている方もいれば、

ひたすら家でぐでんとしている方もいれば、

いやいや全然仕事だしという方もいることでしょう。

 

僕はマジで本読んでマンガ読んで映画観てアニメ観てたまに酒飲んでということをただひたすらに繰り返しています。それしかしてない。

10時か11時に起きて20時くらいまでそんな感じで過ごして一瞬ぐだっとしてまた3時くらいまでそんな感じで時間を使って寝る。来る日も来る日もこんな感じです。

まぁ来年の学費を貯めなくてはいけないので丁度いいです。

 

正直特に書くこともないんだけど、ゴールデンウイークだし一回くらい更新するかということで更新します。だから書くことは支離滅裂です。

 

昨日『Ghost in the Shell』観たんですよ。ハリウッド版の。

 

あらすじ説明するのめんどくさいんで知ってる体で書きます。

ヒロインは元々の身体(=草薙素子)が死んで脳ミソだけ義体(=ミラ・キリアン少佐、以前の記憶はない)に入ってるんですけど、

終盤草薙素子としての記憶が戻った状態で『お前の名前は…』みたいな感じのことを問われて『…モトコ(超絶カタコト)』って答えるシーンで、

「いやそこカタコトなんかい」と思ってしまいましたね。

 

そして全編英語で進んでいく中で、ただ一人死ぬほど棒読みの日本語で堂々と専用の字幕が付くビートたけし。あれだけの棒読みで英語が少しも話せないにも関わらず

出演できるのは凄いと思います。

僕アニメ版観てないんで原作の設定とか知らないからアレですけど。

 

本も読んでます。日本文学史の分厚いやつ1冊借りたんですけど、

明治時代に入らない限りはマジで退屈だなって感じですね。

僕は明治とか大正辺りの日本古来の文化と西洋近代の文化がお互いにせめぎ合いつつも徐々に混ざり合っていく時代が好きなので、正直古代から中世は全然興味が持てません。どっちつかずの『中途半端』っていうのは、ある意味では魅力的な要素だと思います。

とにかく、通しで読まずに拾い読みするのはプライドに反するので乗り切らなくてはいけませんね。

 

鬼滅の刃』は今アニメやってるんですけど、めちゃんこ面白いのでみなさん観てみてください。素晴らしい出来です。原作唯一の弱点だった画力を、アニメでは完全にカバーしているので正直穴が見当たりません。大体、テレビでの放送前に本編7話までを劇場で先行上映するとかいう施策が出来るのは異常です。お金をかければいいものが出来るんですね。まぁ制作会社脱税疑惑かかってるけど。

ちなみにアニメの出来が良すぎて、僕は原作を全部買ってしまいました。

王道のジャンプ作品って感じですが、世界観や設定がよく作り込まれていて、作者の熱量と勉強量が伝わってきます。

 

オリジナル作品なら『さらざんまい』ですね。

輪るピングドラム』の系譜を継ぐエキセントリックな演出で、「欲望と繋がり」というモダンでディープな主題をコミカルに、且つシニカルに描いています。『ピングドラム』でもそうなんですが、何というか、おふざけの中に物悲しさが混じっている独特の危うい雰囲気が、個人的にはとても良いです。僕は幾原監督大好きなんですが、一体日頃どんなことを考えていたらあのような奇天烈なアイデアを思いつくのでしょうか。不思議です。

かなり社会派(と言うと物凄く安っぽく聞こえますが)で暗示的な内容なので、「これはどういう意味?」ということを考えながら観るのが好きな人はドハマりするかもしれないです。

まぁとにかく観てくれや。

 

最後に私個人の話をさせてもらうと、今後しばらくの目標は

①聞き上手になる

②観察する

です。

 

①を掲げるのは、単純に他人の話に興味がなさ過ぎるからです。仲の良い人たちはまだしも、

「そこそこ」くらいの人の話だとマジで「早く終わんねぇかな」しか考えていないので、これはよくないと思います。人としてどうかと思います。

 

②は、情報を摂取する上で本だの何だのに依存し過ぎだと感じたからです。

僕は19よりこの方ずっと自分の力を信じ続けてきたのでそれはこれからも変りませんが、やっぱり外で起きていることにも目を向けなくてはいけないと思います。

さっき挙げた幾原監督にせよ、独創性というものは、自分の外側で起こっている事象をいかにして咀嚼し、自分なりに解釈し再構築するか、という一連のプロセスの上に成立するものだと思います。

だから、コイツムカつくなーと思ったカスのこともしっかり観察して分析したいです。脳ミソにメロンパンがパンパンに詰まっているとしか思えないような度し難いバカの、この世界で一番クソつまんないんじゃないかという話にも、優しく耳を傾けたいです。

それもこれも全部自分の為です。

 

なんかマジで滅茶苦茶な記事になってしまいました。

うーん。

 

 

さよなら。

【とても長い】バルセロナ戦総評【読まない方がいい】

今朝方、チャンピオンズリーグ準々決勝1st legのマンチェスター・ユナイテッドvsバルセロナを観た。

 

結果は0-1。悔しい敗戦である。

 

力の差はもちろんあった。

 

リオネル・メッシルイス・スアレス、フェリペ・コウチーニョで形成された3トップは、現状のユナイテッドのバックラインでは身に余り過ぎるほど脅威であり続けたし、彼らにボールを供給する中盤以下のクオリティーも、他の追随を許さないレベルで成熟していたと思う。

 

しかしながら、しかしながら、である。

 

個人的には、内容はそれほど悲嘆に暮れるほどのものではなかった。と思う。

 

中盤を形成したポール・ポグバ、スコット・マクトミネイ、フレッジの3センターは、ヴィクトール・リンデロフの率いるバックラインと緊密な距離感を維持しつつも、時には勇気を持って前へと出ていき、システマチックにプレスをかけてボールを奪って、前線に素早く展開していた。

 

特にマクトミネイとフレッジの2人は出色のパフォーマンスを見せ、後半開始から70分すぎまでは彼らの躍動のお蔭でバルセロナの中盤を完全に掌握し、殆どワンサイドゲームに持ち込むことにまで成功していたのだ。

これまでバックアッパーに甘んじていた2人からすれば、今後の自信に繋がって然るべきパフォーマンスだったと言えるだろう。

 

今夜の中盤の働きは、この試合を絶望的なものにしなかった唯一の好材料であった。と思う。

 

一方で、勝負を分けたのは結局のところディフェンスラインと、前線でのクオリティーの部分だ。と思う。

 

まず守備の話からしよう。

 

失点シーンはそもそもの話、右サイドバックアシュリー・ヤングがラインを乱してしまったことから始まったもので、つまりミスからの失点である。たった1回のミスだが、このレベルにおいてはたった1回のミスだけで敗戦に充分に値してしまうのだ。

 

34歳という年齢で、且つ本来本職ではない右サイドバックでのプレーを強いられているヤングに多くを求めるのは酷かもしれない。

しかしながら、そんな彼が出ずっぱりにならざるを得ないほど右サイドバックが人材難に陥っていること、それこそが問題である。

ここ数年毎年のように行ってきた大型補強を振り返れば、これがどれほどの異常な事態なのか分かる。

やはり、右サイドバックのクオリティーは"""圧倒的に"""不足していると言わざるを得ないだろう。

 

そしてもちろん、中盤で一定の主導権を握りながらも得点を挙げることができなかったのは、ファイナルサードでの仕事の質が伴っていないからだ。

 

明らかにバルセロナのDFラインにとって脅威になっていたロメル・ルカクペナルティーエリア内では活かし切れなかったし、負傷を押して出場したマーカス・ラッシュフォードは動きのキレや状況判断の適切さに欠け、その働きは効果的ではなかった。

ファイナルサードでの崩しにはアイデアが乏しく、ビッグチャンスを作るには不充分だった。

 

今夜のベンチワークが適切だったか?という点の疑問は残るにせよ、交代出場したアントニー・マルシャルとジェシー・リンガードは動きが鈍重でキレが無く、また試合をひっくり返そうという気概も感じられず、正直言って本当にイライラしたし不快だった。

SNSでスター選手気取りをするなら、それだけの働きをピッチで見せて欲しい。

 

アウェイで開催される2nd legで勝つ可能性が無くはないにせよ、正直難しいと言わざるを得ない。

 

そして、今朝の試合に欠場していたアンデル・エレーラパリ・サンジェルマン移籍が決定的となった。しかもフリートランスファーでの完全移籍。考え得る中で最悪のシチュエーションだ。

 

スペイン出身のエレーラは加入以来中盤の『便利屋』として起用されてきた。確かなパススキルに豊富な運動量、さらにはチームを引っ張っていくキャプテンシーを備えていて、サポーターからは次期キャプテンの呼び声が高かった。

 

どんな起用法にも文句一つ言わず、常にポジティブな姿勢でチームに貢献してきた彼に対して、クラブは1度も昇給をさせなかった。1度もだ。

 

その代わりに彼の半分も貢献していない名ばかりの有名選手や、バックアッパーとしても物足りないようなド下手のディフェンダーと昇給込で契約延長したりするのは本当に意味が分からない。

 

マンチェスター・ユナイテッドとは歴史と伝統の集積であり、それは云わば1つの精神性である。まぁ俺は選手じゃないけど12年間応援しているから偉そうにこういうことを言う。

 

ユナイテッドという精神性を体現してきた選手が不遇の内に去る、このような馬鹿げたことがあっていいはずがありません。

 

つまり何が言いたいかと言うとね

 

 

銭ゲバは死ね。

 

 

次の記事で来季の補強について書こう。そうしよう。

中条あやみにはぜひともブサイクと結婚して欲しいと思う

ということで、久々の投稿です。

 

突然ですが、私は基本的にドラマは観ません。(本当に突然)

冗談抜きで高校生の時以来まともに観てない気がするくらい。

 

まぁドラマを観ない理由はいくつかあるんだけど、理由を挙げ始めるといつもの流れになってしまうのでやらない。

 

そんな私も、中条あやみが主演のナースのやつは観ようと思っている。

 

テレビっ子ではないので芸能人には詳しくないが、もし「好きな芸能人は?」と聞かれたら、確実に中条あやみと答える。そもそも聞かれないけど。

 

私が中条あやみを推し始めたのは3年前、彼女がメリットピュアンというシャンプーのCMガールだった時にまで遡る。

 

見覚えのある方も多いかと思うが、このCMはマジで音楽も映像も最高だし当時19歳くらいの中条あやみが激カワボンバーなので本当に観て欲しい。(YouTubeにいくつか動画が残ってます)

 

見た目がどストライクだったので好きになったのだが、アナザースカイの番組MCになる前?に一度ゲスト出演した時、中身への好感度も爆上がりボンバーした。

確かイギリスに住む祖父母に会いに行くとかそんな感じだった気がする。お婆ちゃんと話すときにちゃんと傍に行って話をしたり聞いてあげたりしているのを観て「お前がナンバーワンだ!!!!!!」と思った。

 

お婆ちゃん好きの女の子に悪い子はいない。

お年玉だけ貰いに祖父母の家に行くブスは死ぬべきだと思う。

 

何の話をしているのか分からなくなってきた。

 

そう、とにかく、中条あやみにはぜひ年収550万くらいで見た目もイケてなくて仕事があんまり出来なさそうな冴えない男性と結婚して欲しい。

 

しかし、社会でうまい汁を啜っているのは世渡りが上手いだけのイキった傲慢な粗大ゴミ共だ。中学とか高校の頃に廊下を肩を揺らしながら歩いていたタイプの連中である。

ヒエラルキーは変わらないままだ。

 

俺はその手の陽気なくせに陰険なカス共には絶対に不幸になって欲しいと思っている。

 

中条あやみが少しハゲかかった冴えない男と結婚すること、

既存のヒエラルキーを破壊する為にはそれしかない。

 

中条あやみがもし冴えない年収550万と結婚したなら、日本中の(冴えない)男達が元気を取り戻すかもしれない。懸案の少子化も少しだけ良い方向に向かうかもしれない。全部かもしれないだ。

 

結局俺は何が言いたかったんだろう。

 

本当はもっと違うことを書こうと思っていたのに、タイトルを中条あやみにした瞬間からよく分からないことになってしまいました。

 

平日の10ー18時をよく分からない白い箱の中でパソコンと睨めっこしながら過ごしているので書くことがありません。

 

はぁ‥‥。

 

 

明日も頑張ろうね‥‥。

重大発表①

とかいうのに騙されてこれを開いた奴はマジでバカだよな。バーカw

 

ということで、今日は俺の好きなサッカー選手10選を発表する。

 

長くなるので今回は①〜⑤まで紹介していくが、⑤以外の4人は俺が12年間狂信的なサポーターをしているマンチェスター・ユナイテッドの選手たちなので予め断っておく。

 

クリスティアーノ・ロナウド(FW)

言うまでもなく、俺の生涯のアイドルである。

鋭角的でトリックに富んだドリブルとかインステップでニアをぶち抜く低いシュートとか滞空時間の長いヘディングとかとにかく華のある選手だった思う。(今はもうボックスストライカーになっちゃったね......)

中学の時はプレーからスパイクから立ち姿から全部真似していたが、『真似してるでしょ』と言われた時は『はァ?違うしw』みたいなことを言ってた。

ちなみにバイなのではないかという疑惑がある。

 

ウェイン・ルーニー(FW)

全能のアタッカーとして定義可能な現代の選手の中で、正真正銘のワールドクラスと呼べるのは恐らくリオネル・メッシとコイツくらいだろう。

しかしルーニーは守備も出来る。試合中はめちゃくちゃ怒る。08-09のフルアム戦でブチギレてドッジボールイングランド代表になれそうな弾丸投球を審判に向かってかましたら一発退場になって『コイツは頭がおかしいんだ』と思ったのを覚えている。

10段階評価でいえばキック10他8くらいの選手。ちなみにメッシは守備とフィジカル以外10だと思う。

かのエリック・カントナルーニーについて『25歳まではトップレベルだがその後は落ちるだろう』と予言したら、マジでその通りになった。(本当にルーニーのキャリアハイは25歳の時の09-10シーズン)

毎シーズン開幕直後は太り過ぎでブタみたいなのだが秋からメチャクチャ調子上げてくるのが恒例。

ちなみに若ハゲを苦に植毛している。植毛してからパフォーマンスが落ち始めた気がする。

 

リオ・ファーディナンド(DF)

ディフェンダーで一番好きなのは恐らく死ぬまでリオだろう。

DFラインをまとめ上げる統率力、ディフェンダーらしからぬボールスキルの高さ、空中戦の強さはもちろんのこと、読みが冴え渡るインターセプトの能力がたまらない。極めてモダンなタイプのセンターバックだと言えるのではないだろうか。

リオとヴィディッチのコンビは俺の中でベストだ。

とにかく、07-08シーズンまでは本当に欠点が何一つない最高のセンターバックだった。

ちなみにオシャレで性格も良い。

 

ルイス・ナニ(MF)

俺たちのクリスティアーノマンチェスターを去ってからのおよそ5年間、俺のアイドルは同じポルトガル人のルイス・ナニだった。

コイツの最大の魅力はドリブルのバリエーションとパンチのあるミドルシュートだと思う。

クリスティアーノのようなキレのある直線的なドリブルも出来るし、しなやかな身のこなしで柔らかく相手を躱すことも出来る。

10−11シーズンのホームのチェルシー戦で決めたバケモンみたいなミドルシュートを生で観た時は家中を絶叫しながら走り回ってお母さんにガチで怒られた。

 

アンドレス・イニエスタ(MF)

高2の途中?くらいでトップ下にポジションを移した(俺が)辺りで真似し始めたのがイニエスタだった。こんなにサッカーが上手い奴がいるのかというくらいボールタッチが柔らかくてスルスル相手を躱していく様はお見事としか言いようがない。

トップレベルの選手たちの多くがキャリアの晩年に苦悩しているのとは対照的に、クラブの水準を満たせなくなったタイミングで潔く日本に移籍したのも好感が持てる。

ちなみに見た目はあまりにも普通のおじさんなので、日本で電車に乗っても気付かれない。

 

次の投稿で⑥から⑩を紹介するが、案の定またユナイテッドの選手ばっかりですね。

祖母

突然だが、俺は稀代のお婆ちゃんっ子である。

 

うちの両親は共働きだったので、小学校低学年の頃は長期休みの度に祖父母の家で過ごしていたし、祖父母もしょっちゅう俺の家に遊びに来ていた。

 

そういう背景もあり、俺は幼少期から宿命的に人並外れた筋金入りの泣く子も黙るお婆ちゃんっ子として成長を遂げていった。

 

なんなら祖母が死んで24歳になった現在でも、ばあちゃんが使っていた水色の毛布にくるまって寝るし、小指の指輪はばあちゃんの形見の結婚指輪だ。

 

つまりグランドマザコンである。

 

前置きはこのくらいにして、

 

あと数日でうちの祖母が死んで10年だか11年になる。

 

この間家でばあちゃんのことを考えていたら、『そういえばどんな声だったっけな』と思った。

覚えているはずなのだが、霞がかかったような感覚でうまく声を思い起こせないのだ。

 

顔も手の感触もよくやる癖も思い出せるが、声だけが上手く思い出せない。

 

人間が死ぬと、一番最初に忘れ去られやすいのが声だという。

 

何だかこのまま色々なことを忘れていくのは嫌だったので、

今回はうちのばあちゃんと俺の思い出を書いていこうと思う。

 

ちなみにあんまり湿っぽい話にはならない。

何故ならうちの祖母はふざけたばあさんだったからである。

 

8歳の頃、ばあちゃんと2人で留守番をしていた時のことだ。

中年の男が家を訪ねてきた。

『うちの会社の健康食品に興味はありませんか?』と話をしているのが聞こえた。今にして思えば清々しいほど分かりやすいマルチ商法である。

 

幼心に『絶対嘘だ』とか思っていたのだが、うちのばあちゃんはフラフラと中年について家を出て行ってしまった。俺は庭で呆然と立ち尽くして歩き去る祖母とよく分からない中年を見送った。

 

幸いその後すぐじいちゃんが帰ってきたので事情を説明すると、慌てて連れ戻しに行った。

結局無事家に帰ってきたのだが、じいちゃんに滅茶苦茶怒られていた。当の本人はゲラゲラ笑って全然反省していなかった。

 

うちの祖母はまあそういう奴だ。

 

5歳か6歳くらいの頃、マクドナルドに行きたいとねだったら『よし行こう』と言ったのでウキウキでついて行くと、本人は1ミリも注文方法が分かっていなくてレジの前でずっと何も言わずニコニコしていた。代わりに俺がしどろもどろ注文しているとその間ずっとクスクス笑っていた。その癖俺より食っていたのを覚えている。

 

とぼけたばあさんである。

 

うちのばあちゃんは右眼が見えないし脚も不自由で耳もつんぼで何なら鋼の錬金術師に出てきてもおかしくないような身体的スペックだったのだが、

1度家にスズメバチが入ってきた時は何故か死ぬほど機敏な動きを見せスリッパを振り下ろすと一撃で絶命させていた。

 

一緒にファミコンドンキーコングをプレイすると、トロッコを飛ばすタイミングで本人も釣られてピョンピョン跳ねていた。何回ばあちゃんが飛び回る意味は無いと説明しても無駄だった。

 

プレイステーション2』を『これって焼酎』に聞き間違えたこともある。基本的に横文字の単語は全て違う言葉に変換される。

 

ロックマンエグゼ4で2つ目くらいの面がクリア出来ず、ばあちゃんに泣きながら八つ当たりすると、何のこっちゃ分からないばあちゃんに大爆笑されてアホらしくなったのもいい思い出である。

 

まぁとにかくそういう婆さんだった。

 

基本的に他人に憧れたりしないし、そういうのは弱い奴がやることだと思っているが、うちのばあちゃんくらい優しくおおらかに生きていけたら楽しいんだろうなぁと羨ましく思う。

 

これまでの人類史の中から1人だけ死んだ人間に会えるよと言われたら、多分J.D.サリンジャーカート・ヴォネガット Jr.かうちのばあちゃんで迷って、結局うちのばあちゃんに会うと思う。

 

もし24歳の俺に会ったら、何と言うだろうか。

 

何だかんだそこそこいい大学に入ってそこそこいい会社に入ったのに音速で辞めちゃったと言ったら、多分大笑いしながらそんなこと気にすんなと言ってくれるような気がする。

 

頑張って大物になって大金持ちになったら喜んでくれそうなので、頑張ろうと思う。

 

まぁそんな感じ

齋藤飛鳥とかいうアイドル

マジで可愛すぎる。マックで初めてまともに写真観たら可愛すぎて3㎝くらい飛び上がった。最近のアイドルは自撮りの破壊力が高すぎてよくないと思います。

 

多分ここからブログだの色々調べ始めると握手会だのライブだのに行きたくなっちゃうのが目に見えているので、絶対にブログとか読まない。アイドルのブログは危険である。麻薬である。

 

とか言いつつもう普通にブログ読み始めた。

 

ブログの内容が面白いか面白くないかはさておき、『面白いことを言おうとする』というのが最高だと思う。可愛いは正義である。

 

ということで、今日は本の感想を書いていく。

 

読んだのは、村上龍の『すべての男は消耗品である』っていうエッセイで、『ザ・ベストマガジン』という雑誌の連載をまとめて文庫本にしたやつ。(だと思うよ、細かいことは知りません)

 

小説もエッセイも読んでいて前から好きだったんだけど、

村上龍に関しては小説よりエッセイの方が引き込まれるなと思った。理由は後述する。

 

話を戻そう。

 

内容は題にある通り、『すべての男は消耗品』という彼の言説がまずあって、

村上龍が好き勝手に男だの女だの男女関係だのについて書きまくるっていうだけ。

 

別にこの本を通じて何かが筋道立てて論証される訳じゃないし、多分論証しようとしてすらいないと思う。元は雑誌の連載だしね。

 

この本の中で村上龍が言ってるのは、

 

『男』という生き物は生き残っていく為に、不可避的に『父』にならざるを得ない。(ここにおける『父』とは生物学的な意味ではなく、あくまで心理学レベルの意味合い)

 

そして『父』と、それに伴って生じる『父権』というのは、社会という『制度』の中でしか成立し得ない。

 

『父』は『制度』の中でしか成立しないから、『男』は『社会』という制度が生ずる枠組みを絶対的に必要とする生き物だと言える。

 

対照的に、村上龍は『女』を制度の外側でも生きていくことの出来る存在として対置する。

 

『父』とは異なり、『母になる』(ここでの「母」は生物学的な意味合い)というのは生物として不可避の事象だから、と、彼はこう述べている。

 

種の保存のみを純然に目指すのなら、制度に必然性はない。

 

制度の外側で生きていくことが出来る女に、幻想の『父性』を背負わされ、宿命的に消費され続ける男は女に敵わない。

  

 しかし現在、制度の枠組みの中で『父権』はすっかり影を潜めた。

『父』は、社会の中で効力を失いつつある。

そして、父としての権威を失った『男』は形骸化した『父』として、

制度の歯車として消費され続けるのみになった。

 

反対に、『女』は制度の中で自由を享受し始め、制度の外側(不倫とか)にも出て行くようになる。

 

何かもうよく分からなくなってきた。

 

村上龍も事ある毎に、「俺は何を書いてたんだっけ」とか、「この問題を明確にするには天皇制の興りまで遡る必要がある」って書いてるし、上手く内容を纏められなくても別に俺のせいじゃない。俺は悪くない。

 

とにかくそんな感じの本だ。

 

当時34歳?とかその辺りの村上龍のバイアスが全面に押し出された内容になっているので、

読み終わってから「何だコイツ」となる人も多いと思う。

 

この本を結構気に入ったのは、共感するとか観点が斬新とかそういうことではなく、

単純にこの本の中の村上龍という一個人の在り方に好感を抱いたからだ。

 

著作や、インタビューとかラジオでの発言から分かるように、村上龍は良くも悪くもオブラートというものを一切使わない人間だと思う。

 

「ブスは論外だ」と開始数ページで正面切って書ける作家はそういないのではなかろうか。

 

個人的には、そういう「嘘のなさ」が気に入っているのかもしれない。

 

 村上龍に関しては物語の形に主張を変換する小説よりも、ストレートに個人として物が言えるエッセイの方が読んでいて面白い、気がする。もちろん小説も面白い。内容が過激で他人には薦めづらいのが玉に瑕だ。

 

 

うーんとね

 

 

そんな感じ 

一つ悪口を言われたら二つ以上の悪口で返す

例えば、「死ね」と言われたら「お前が死ね、クソッタレのオタンチン野郎」と返す。

そうすればこちらの勝ちである。

「死ね」対「死ね」「クソッタレ」「オタンチン野郎」

サッカーだったら1‐3の逆転勝利だ。

 

これぞ我が佐藤家に古くから伝わる一子相伝の秘法、同害復讐の法則ならぬ超害復讐の法則である。

これは主に父親が5歳の俺に継承した。その現場を見たお母さんはお父さんをめちゃくちゃ怒ったが、時すでに遅し。残念ながら口は滅茶苦茶悪くなった。父親はアルコール中毒気味である。因果応報とはこのことだ。

 

まぁそんなことは今回の投稿とは何の関係もない。

 

私はもう長いこと慢性鼻炎を抱えて生きている。いつ頃から患ったのか思い出せないほど前である。特に左の鼻腔なんて酷いもので、殆ど嗅覚が死んでいると言っていいほどだ。おかげで24歳になるまで金木犀の匂いとかよく分からなかった。

 

とにかく、私が匂いを感じている時は9割方右鼻腔のお蔭である。

 

とはいえ慢性鼻炎を抱えているだけなので、慣れてしまった現段階においてはそこまでストレスを感じることはない。

 

…にも関わらずだ。

 

「奴ら」がやってきた。それも突然やってきた。それまで全く無関係だと思っていたのに、突如として無遠慮に我が家のドアをノックし始めた。

 

花粉症である。後天的になるなんて聞いてないぞ。

 

ほんの5日前のことである。何だか鼻の調子がいつもより悪いことに気が付いた。

 

それだけなら「まぁ、鼻炎持ちは季節の変わり目調子悪いし」で済んだのだが、

次の日は朝起きたら喉が死ぬほど痒くなっていた。

仕事に行くのに外へ出ると、今度は眼も取り出したくなるレベルで痒くなった。

 

念のため「花粉症 症状」で検索すると見事に全ての体調不良と合致した。

 

こんなのはあんまりではないだろうか?

 

鼻は元々使い物にならない。眼も悪い。眼つきも悪いし、口も凄く悪い。

性格なんてもっと悪い。おまけに馬鹿舌だ。これ以上悪いところを増やして何になるというのだろうか?

 

私は断固として抗議したい。抗議したいが、こればっかりは茨城県庁が悪い訳でも取手市役所が悪い訳でもない。

文句があるなら近所に生えている杉の木やブタクサに向かって罵倒の言葉を浴びせかけるしかない。しかしそんなことをすれば我が佐藤家は逃げるようにこの地を去らなくてはならないだろう。お嫁に行けなくなるだろう。

 

「泣き寝入りか‥‥」と思って近所のドラッグストアに行ったら、

アレグラが3780円だった。

 

 

叫び声が出た。嘘だけど。ちょっと変な声出た。