サトウレン

多分花粉症だったっぽい

祖母

突然だが、俺は稀代のお婆ちゃんっ子である。

 

うちの両親は共働きだったので、小学校低学年の頃は長期休みの度に祖父母の家で過ごしていたし、祖父母もしょっちゅう俺の家に遊びに来ていた。

 

そういう背景もあり、俺は幼少期から宿命的に人並外れた筋金入りの泣く子も黙るお婆ちゃんっ子として成長を遂げていった。

 

なんなら祖母が死んで24歳になった現在でも、ばあちゃんが使っていた水色の毛布にくるまって寝るし、小指の指輪はばあちゃんの形見の結婚指輪だ。

 

つまりグランドマザコンである。

 

前置きはこのくらいにして、

 

あと数日でうちの祖母が死んで10年だか11年になる。

 

この間家でばあちゃんのことを考えていたら、『そういえばどんな声だったっけな』と思った。

覚えているはずなのだが、霞がかかったような感覚でうまく声を思い起こせないのだ。

 

顔も手の感触もよくやる癖も思い出せるが、声だけが上手く思い出せない。

 

人間が死ぬと、一番最初に忘れ去られやすいのが声だという。

 

何だかこのまま色々なことを忘れていくのは嫌だったので、

今回はうちのばあちゃんと俺の思い出を書いていこうと思う。

 

ちなみにあんまり湿っぽい話にはならない。

何故ならうちの祖母はふざけたばあさんだったからである。

 

8歳の頃、ばあちゃんと2人で留守番をしていた時のことだ。

中年の男が家を訪ねてきた。

『うちの会社の健康食品に興味はありませんか?』と話をしているのが聞こえた。今にして思えば清々しいほど分かりやすいマルチ商法である。

 

幼心に『絶対嘘だ』とか思っていたのだが、うちのばあちゃんはフラフラと中年について家を出て行ってしまった。俺は庭で呆然と立ち尽くして歩き去る祖母とよく分からない中年を見送った。

 

幸いその後すぐじいちゃんが帰ってきたので事情を説明すると、慌てて連れ戻しに行った。

結局無事家に帰ってきたのだが、じいちゃんに滅茶苦茶怒られていた。当の本人はゲラゲラ笑って全然反省していなかった。

 

うちの祖母はまあそういう奴だ。

 

5歳か6歳くらいの頃、マクドナルドに行きたいとねだったら『よし行こう』と言ったのでウキウキでついて行くと、本人は1ミリも注文方法が分かっていなくてレジの前でずっと何も言わずニコニコしていた。代わりに俺がしどろもどろ注文しているとその間ずっとクスクス笑っていた。その癖俺より食っていたのを覚えている。

 

とぼけたばあさんである。

 

うちのばあちゃんは右眼が見えないし脚も不自由で耳もつんぼで何なら鋼の錬金術師に出てきてもおかしくないような身体的スペックだったのだが、

1度家にスズメバチが入ってきた時は何故か死ぬほど機敏な動きを見せスリッパを振り下ろすと一撃で絶命させていた。

 

一緒にファミコンドンキーコングをプレイすると、トロッコを飛ばすタイミングで本人も釣られてピョンピョン跳ねていた。何回ばあちゃんが飛び回る意味は無いと説明しても無駄だった。

 

プレイステーション2』を『これって焼酎』に聞き間違えたこともある。基本的に横文字の単語は全て違う言葉に変換される。

 

ロックマンエグゼ4で2つ目くらいの面がクリア出来ず、ばあちゃんに泣きながら八つ当たりすると、何のこっちゃ分からないばあちゃんに大爆笑されてアホらしくなったのもいい思い出である。

 

まぁとにかくそういう婆さんだった。

 

基本的に他人に憧れたりしないし、そういうのは弱い奴がやることだと思っているが、うちのばあちゃんくらい優しくおおらかに生きていけたら楽しいんだろうなぁと羨ましく思う。

 

これまでの人類史の中から1人だけ死んだ人間に会えるよと言われたら、多分J.D.サリンジャーカート・ヴォネガット Jr.かうちのばあちゃんで迷って、結局うちのばあちゃんに会うと思う。

 

もし24歳の俺に会ったら、何と言うだろうか。

 

何だかんだそこそこいい大学に入ってそこそこいい会社に入ったのに音速で辞めちゃったと言ったら、多分大笑いしながらそんなこと気にすんなと言ってくれるような気がする。

 

頑張って大物になって大金持ちになったら喜んでくれそうなので、頑張ろうと思う。

 

まぁそんな感じ